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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)989号 判決

控訴人 増田文栄

被控訴人 国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金二五一七万七六一七円及びこれに対する昭和四一年九月三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人は主文同旨の判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決事実摘示(但し、原審原告粕谷主政、同森田レイ、同森田大良、同森田昌子、同木崎豊子、同高橋重子に関する部分を除く。)のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴人は、次のとおり述べた。

一  安全配慮義務の不履行による損害賠償債権の消滅時効は、右により被つた傷害の症状が固定した日から進行するものと解すべきである。そうでなければ、損害額の確定が不可能で、損害賠償債権を行使することができないからである(民法一六六条一項)。控訴人が本件事故により被つた両眼失明の症状が固定したのは昭和四一年九月二日で、本件訴を提起したのは昭和五〇年八月一八日であるから、被控訴人に対する右安全配慮義務不履行による損害賠償債権は時効により消滅していない。

二  国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求について。本件事故の実体は訴外中隊長、同小隊長の重過失と亡森田の過失との競合による共同不法行為であり、共同不法行為の場合消滅時効は各不法行為者毎に論ぜられるべきもので、特に、隊員である亡森田の過失を原因とするものと、指揮官である訴外中隊長、同小隊長の過失を原因とするものとではその程度、内容は全く異なるから、消滅時効は各別に進行するものと解するべきところ、控訴人が本件事故の原因が訴外中隊長、同小隊長らの違法なカーリツト粉末使用にあることを知つたのは昭和五〇年八月六日の原審第二回口頭弁論期日の直前であり、控訴人が国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を追加主張したのは昭和五三年六月一六日の第一八回口頭弁論期日においてであるから、被控訴人に対する右損害賠償債権は時効によつて消滅していない。

三  控訴人が本訴によつて権利を実現したとしても被控訴人にとつて法律関係の安定が害されることはなく、また控訴人の本訴提起が遅れたのは被控訴人において粉末カーリツトの製造使用の違法ならびに危険発生に対する重過失の存在を控訴人に秘匿していたことによるものであることからしても、被控訴人の消滅時効の援用は信義則違反、権利の濫用、公序良俗違反である。

被控訴人は、次のとおり述べた。

一  安全配慮義務の債務不履行による損害賠償債権の起算点は、損害の発生の有無及び右額の確定にかかわらず本来の債務の履行期すなわち右義務の不履行のあつた時と解するべきである。

二  国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求について、一個の加害行為に複数の公務員の故意、過失があつた場合、被害者は右のうちの一人の故意、過失を知ればそれを理由として国に対し損害賠償を請求し得るのであるから、右事故による国に対する損害賠償債権については、その時から消滅時効が進行するものと解するべきところ、控訴人は本件事故が亡森田の過失によるものであることを事故の直後に知つたのであるから、訴外中隊長、同小隊長らの故意、過失の知、不知に関係なく、被控訴人に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償債権の消滅時効は進行するものである。

理由

一  本件事故の発生、被控訴人の責任原因(安全配慮義務違背による責任)についての当裁判所の判断は、原判決二九丁裏一〇行目の「いわざるを得ず」とあるを「いわざるを得ない。」と改め、それに続く以下三行を削除するほかは、二〇丁表三行目から二九丁裏一〇行目までに説示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

二  そこで、消滅時効の成否について判断する。

1  安全配慮義務違背は、国と自衛隊員との間においても、債務不履行の一種と解するべきであるが、およそ債務不履行による損害賠償債務は、本来の債務の内容が変更したにすぎず、債務の同一性に変りはないから、その消滅時効は本来の債務の履行を請求し得る時すなわち債務不履行のあつた時(換言すれば本来の債務が損害賠償債務に変つた時)から進行を始めるもので、仮に権利者において損害の発生を事実上知らず、また損害額が確定していないとしても右消滅時効の進行は妨げられないものと解するのが相当である。本件において被控訴人に債務不履行のあつたのは前記認定のとおり昭和四〇年五月二四日であるから、被控訴人の安全配慮義務の不履行による損害賠償債務は、控訴人の後遺症状が固定していると否とにかかわりなく右の日から進行し、その後一〇年を経過した昭和五〇年五月二四日の経過により時効によつて消滅したものというべきである。

控訴人は、右消滅時効は後遺症状の固定した日から進行するものと解するべきであると主張するが、民法一六六条には、不法行為に関する同法七二四条のような別段の定めはなく、時効期間の権衡等を考慮するならば、債務不履行による損害賠償債権は、その発生と同時に法律上これを行使することができる状態になるというべきであり、その消滅時効については前記のように解さざるを得ず、控訴人の右主張は採用できない。

しかして、被控訴人が原審における昭和五〇年一二月二二日の第五回口頭弁論期日において右時効を援用したことは本件訴訟上明らかである。

2  次に、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償債権についての消滅時効についてであるが、一般に共同不法行為の場合各加害行為者に対する損害賠償債権の消滅時効は各別に進行するが、本件は、国家賠償法一条一項に基づく法定賠償責任者(被控訴人)に対する単一の請求であり、このような場合、直接の加害者が二人以上あつても、そのうちの一人の加害行為及び損害の発生を知ればその損害の賠償請求をなし得るのであるから、他の者の加害行為の違法であることの知、不知にかかわりなく、その時から消滅時効が進行するものと解するのが相当である。前記引用にかかる認定事実によると、控訴人は本件事故の発生と同時に亡森田の行為の違法であること及び損害の発生を知つたものと認められ、控訴人は右の時点で被控訴人に対し国家賠償法一条一項に基づき損害賠償の請求をなし得たものというべきであるから、右債権の消滅時効は控訴人において訴外中隊長、同小隊長の過失の存在を知ると知らぬとにかかわりなく右の時点から進行したもので、仮に控訴人主張のように控訴人の両眼失明の症状が固定したのが昭和四一年九月二日で、同時点で損害の発生を知つたものであるとしても、前記同様右の時点から消滅時効が進行したものと解されるから、遅くともその後三年を経過した昭和四四年九月二日の経過により控訴人の被控訴人に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償債権は時効により消滅したものといわなければならない。

控訴人は、法定賠償責任者に対する損害賠償債権についても、加害者が複数の場合、その消滅時効の成否については、共同不法行為として各不法行為者ごとに論ずるべきであると主張するが、右のように解するべき法的根拠はなく、この点各加害者の責任の内容、程度のいかんによつても異なるところはなく、右主張は採用できない。

しかして、被控訴人が原審における昭和五三年七月一四日の第一九回口頭弁論期日において右時効を援用したことは本件訴訟上明らかである。

三  控訴人は、被控訴人の消滅時効の援用は信義則違反、権利の濫用、公序良俗違反であると主張するが、本件全証拠をし細に検討しても、控訴人主張のように、被控訴人において本件事故後訴外中隊長、同小隊長の違法行為をことさらに秘匿していたと認めるに足る証拠はなく、また未必の故意による殺人行為とみることも到底できないから、本件訴訟の提起が約二か月遅れたにすぎないこと、本件事故が火薬類取締法違反に該る行為によるものであること、控訴人が被控訴人の消滅時効の援用により多くの不利益を受けることなどを考慮に入れても、被控訴人の消滅時効の援用が信義則違反、権利の濫用、公序良俗違反とみることはできず、控訴人の右主張は採用できない。

四  以上の次第で、控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなくその理由がなく、失当として棄却すべきであり、これと同趣旨の原判決は相当であるので、本件控訴はこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小堀勇 小川昭二郎 山崎健二)

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